小説を書くということはどういうことか

われわれはいつも神話を求めている。なぜならば、つぎからつぎへと繰り返される日常が、たいくつでツマンネー時をすごしているためだ。そうでない場合も多いが、ここでは省略することにする。「物語り」を書くときに一番難しいのは<自然な会話>と<自然描写>だとなにかの本に書いてあった。
 
 神話を個人で書くことはやさしいことではない。小説には世界観が確立しているものほど読者を惹きつける魅力がある。その世界観は作家自身の生きざまがにじみでていると善いと思われる。パウロイエス・キリストから口承伝承(口伝え)によって「福音書」を書いたのであるし、ソクラテスソクラテス自身著者はひとつものこしておらず、その言動をいわば口述筆記したのがプラトンの作品として今日までのこされている。

 しかし、今日の作家では一行目をかくことはとても難しい仕事であり、締め切りに書きあげるまでの精神的プレッシャーは筆舌に尽くしがたいことだろう。徹底したリアリズムで最後までおしきるか、あるいは綿密なプロットをもとに鉄鋼場の工事のように組み立てていくか作家の持ち味にわかれるが「期限までにしあげる」ことが作家の力量が問われるところである。

 そして、書く道具も問題になってくる。えんぴつかあるいは青ペンかそれともパソコンのワードで直接打ち込んでいくかタイプによって様々だろう。

 私は主として青ペンを使い、青ペンが無かったらえんぴつを使う。それら2つの道具がなければ私はなにも書かない。ここにも作家と呼ばれるひとびとのこだわりがありそうである。