新約聖書の言語

(一)コイネー・ギリシア
 新約に含まれている二十七はすべてギリシア語でしるされている。このギリシア語はヘレニズム・ローマ時代の日用語であり、通常コイネー(一般言語・共通の方言)と呼ばれている。コイネーは古典的アッティカ散文をもとに出来た言語で、アテネの勢力拡大時期には共通言語として全東部地中海に広くもたらされた。ローマ帝国もこれを日常語および行政語として採用した。
 しかし、初期のキリスト教時代の世俗文学はむしろアッティカ風の懐古的な文体を好み、コイネーを用いるものは多くはない。研究者たちの間では、新約のギリシア語とアッティカ風の散文との違いは確認はされてはいたが、当初はその相違は七十人訳の影響による「聖書ギリシア語」として説明されるにとどまった。しかし、一九世紀後半にエジプトで発見された非文学パピルスや碑文などの研究により、新約聖書がコイネー・ギリシア語によって書かれていることが明らかにされるに至った。
 無論、しかし、新約の諸文書簡には文体の違いが認められる。マルコによる福音書は素朴な文体を留めているし、マタイとルカは随所においてそれを洗練されたものに改良している。殊にルカの文体は、彼が高等コイネー文体によく馴染んでいたこと、また文学的言語に大きな関心を抱いていたことを伺わせる。ヘブライ人への手紙には文語的影響が顕著であり、用いられている語彙をはじめ、巧みな長文や従属文の使い方は著者が相当に高度な文学的教養の持ち主であったことを表している。これと同じような特徴はペトロの手紙二の文体においてもある程度認められよう。ヨハネによる福音書は簡潔なコイネー・ギリシア語で記されており、その言語には七十人訳(特に第ニイザヤ)の影響が強い。またパウロの手紙には、ルカに見られるような文学的言語の接近は看守されないが、日常語を熟達した仕方で駆使した力強い生き生きとしたコイネー文体が観察されるし、言葉遊びや語呂合わせ、手紙の全体構成などは、パウロがかなり高度な修辞学的教養を身につけていたことを示している。ヨハネの黙示録は、文語的には荒削りの個所が希ではない。しかし、旧約の文体に依拠しつつコイネーを用いて荘厳な文章をのこした。
『新共同訳 新約聖書略解』監修 山内眞 より